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       日刊イベントニュース 1643号      by venture-park.com  26.7.20
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▽ 戦力外から球宴へ 楽天のサブ〜yahooニュース〜 ベンチャーパーク(稲沢市)


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【投稿者】 ベンチャーパーク 代表 榎本和男(稲沢市)
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戦力外から球宴へ 楽天のサブ〜yahooニュース
 
監督推薦でオールスターに選出された福山博之。 

 戦力外から球宴へ。楽天・福山博之の奇想天外すぎる野球人生

 サブ――楽天で「サブ」といえば、脇役のことではない。福山博之、通称サブ。
中継ぎとして今季ここまで(7月16日現在)リーグ4位の38試合に登板し、防御率1.52と、
最下位に沈む楽天の中で獅子奮迅の働きを見せ、今や楽天リリーフ陣の柱にもなっている
存在だ。星野監督から「ウチで1番成長したピッチャー」と言わしめるほど絶大な信頼を
受け、このたび監督推薦によるオールスターへの出場を勝ち取った。
そんな福山がオールスター選出に対しての率直な思いを語ってくれた。(webスポルティーバ)

「プロ野球選手になることさえ『まさか』だったのに……。しかも、2年前に戦力外を受け
たオレが、まさかオールスターにまで出られるなんて、本当にあり得ないと思う」

 そう、今では楽天に欠かすことのできない福山の野球人生は、今から4年前、横浜(現・
横浜DeNA)で始まっている。ちなみに、サブと呼ばれる所以(ゆえん)は、自身もネタに
するほど大きい鼻の穴が、国民的演歌歌手である北島三郎氏を彷彿させると大学時代の友
人に言われ、これを本人が気に入り「サブ」と定着した。入団以来ずっと「サブ」と呼ば
れているため、「福山」と呼ぶことに強烈な違和感を覚える。そのためここからは「サブ」
と呼ばせてもらいたい。

 そんなサブの横浜時代を振り返る前に、奇想天外すぎる大学時代の話をぜひ紹介させて
ほしい。

 2007年、島根県立大東高校を卒業したサブは、野球の名門、大阪商業大学に一般受験で
入学する。高校時代、まったく無名だったサブは、入学して2週間の間、野球部への入り
方すら分からずにいた。

「入学して、野球部に入りたいけど、どうしていいか分からんかった。そしたら、たまた
まとっていた講義の先生が野球部の部長ということを知って、すぐに入部したいってこと
を伝えた。『入部したいなら来てもいいよ』みたいな感じだったけど、とにかくそんな感
じでオレは野球部に入れた」

 多くの大卒のプロ野球選手は、高校時代からある程度の知名度を持ち、大きな期待とと
もに大学へ進学する。名門大学の野球部ともなれば通常、新入生の練習は入学前の3月から
始まるものだ。そんな中で、入学後に部長に直訴して入部することになったサブの経緯は、
異例中の異例といえる。しかも、異例なのは入部だけにとどまらない。じつはサブ、高校
時代はセカンドを守っていた。それがなぜ、大学に入り投手となったのか。

「入部して自己紹介する時、『どうせ誰もオレのこと知らんやろ』と思って、『ポジション
はピッチャーです』ってウソついたんよ。そしたら、ピッチャーになった」

ウソのような話だが、サブの投手人生はこのウソから始まった。途中入部してきたよくわか
らない選手が、ボールの握りが丸見えの内野手用のグラブで投手をやっている。そんなサブ
を最初、周囲の選手は笑っていた。だが、そんな中で行なわれた紅白戦で、サブはレギュラ
ー陣相手に快投を見せる。

「スライダーがキレて、面白いように抑えることができた。あの日以来、周りからの反応も
少し変わったと思う」

 とはいえ、この時サブのストレートは最速128キロ。高校生でも速いとは言えない。現在の
ような150キロを超えるような快速球が生まれるには、これまたウソのようなストーリーがあ
った。

「投手を始めてすぐ、近くの公園で犬の散歩をしていたおじさんが話しかけてきたんよ。
『オレが投げ方を教えてやる』って。最初は『誰?』って思ったけど、話を聞いてたらその
人はベイスターズの金城(龍彦)さんの叔父さんやった。それからずっと、犬の散歩してる
金城さんの叔父さんに投げ方とかトレーニングとか教わって、それをやってたら球が速くな
ったんよ」

 人の縁とは不思議である。後にその金城さんとチームメイトになるとは、この時は知る由
もない。教わったトレーニングを続け、フォームの矯正をしたサブは、3年秋にはなんと最速
148キロを記録。入学時から球速が20キロも上がり、押しも押されもせぬエースとなり、2010
年、横浜ベイスターズからドラフト6位で指名を受け、プロ野球選手となる。

「まさかだよね。4年の春くらいから、周りのみんなは就活をしだした。就活したくないなぁ
と思ってたときに、プロに行けるかもしれん、みたいな話が来たんよ。それで目指してたんや
けど、いや、まさか本当になれるとは。嬉しいとかより、ビックリ。驚きばっかりやった」

 確認しておきたいが、これは実在するプロ野球選手の「実話」であるということだ。

 横浜入りを果たしたサブは、1年目から19試合に登板するなど頭角を現す。170センチの体を
目一杯使い、最速152キロのストレートを両コーナーに小気味良く投げ込む投球スタイルは、
見ている者をワクワクさせる躍動感があった。

 だが2年目、サブの登板機会は劇的に減った。特にどこかを故障した訳ではない。調子が悪い
訳でもない。しかし、チャンスは回ってこない。プロの世界、いや、どの世界でもこういうこ
とは往々にしてある。やっと巡ってきたチャンスもわずか2イニングの登板にとどまり、最後は
エルドレッド(広島)へ投じた球が危険球退場となり、二軍落ちとなる。二軍でも満足に登板
機会を得られないまま、9月25日、チームのGM(ゼネラル・マネージャー)である高田氏に呼ば
れ、衝撃の事実を告げられる。

「来年、投手としては戦力として考えていない。内野手に転向するなら、育成選手として契約
を考えている」

突然の宣告に、雷に打たれた気分だった。

「『えぇっ、マジで!?』っていう気持ちやった。いや、確かに結果は出てないけど、『それに
しても早いやろう』って。『まだできるぞ』っていう気持ちもあったから、野手に転向するっ
て考えはなかったね」

 わずか2年。サブが言うように少し早い気もするが、高田氏自身、現役時代にレフトからサー
ドへコンバートされ、ゴールデングラブ賞を獲得している。また、日本ハムでは糸井(嘉男)
を投手から外野手へコンバートし成功している。「転向するなら退路を断つ」という高田氏の
考えもあっただろう。

 もともと、サブのコンバートはチーム内でも声が上がっていた。というのも、サブの脚力は
おそらく球界でもトップクラスで、50mを走らせれば確実に6秒を切る。事実、昨年は代走での
出場も果たしているほどだ。そのずば抜けた脚力と身体能力は、野手でこそ発揮されると見る
球団関係者は多かった。選択を迫られたサブであったが、答えは決まっていた。

「野手転向の話を断れば事実上戦力外通告。それでも、オレは投手にこだわった。なぜかって? 
『まだ投手としてやれる』という自信があったから」

 2012年10月、サブは戦力外通告を受けた。

 早すぎる「クビ」。ここからトライアウトに向けた練習が始まった。じつはこの時、私も同
時に戦力外通告を受けている。ここから約1カ月半の間、サブと私は毎日のように一緒に練習を
した。サブの全力投球を私が受けたり、時には投手と打者として真剣勝負をしたり、実践感覚
を磨いた。この期間、なぜかお互いに悲壮感めいたものはなく、むしろ、来シーズンに備えた
練習と言った方が正しいくらい希望に満ちあふれていた。

 サブとの練習の成果もあってか、私はトライアウトで楽天の本拠地であるKスタ宮城(現・コ
ボスタ宮城)でホームランを打つことができた。誰よりもサブが一番喜んでくれたことは言う
までもない。そしてサブは楽天から声がかかり入団した。私はというと、声がかかることはな
かったが、そのお陰でこうしてサブの記事を書かせてもらうことができている。話が逸れてし
まった、本題に戻ろう。

 楽天へと移籍したサブは1年目から活躍する。22試合に登板し、防御率こそ4.41と奮わなかっ
たものの、シーズン終盤で見せたロングリリーフなどで幾度となくチームの危機を救った。高
田氏から野手転向の打診を受けたちょうど1年後の9月25日、優勝マジック3で迎えた西武戦で、
先発したハウザーが栗山(巧)に危険球を投じ退場となると、緊急登板でマウンドに上がり、
4回1/3を無失点に抑える投球を見せた。野手転向かクビかを迫られていた男が、そのちょうど
1年後には優勝戦線のど真ん中で投げていた。その後チームはリーグ初優勝、CS突破、日本シ
リーズ制覇と、まさに楽天のためにあったようなシーズンを送った。

わずか1年のうちに、戦力外から日本一へ。大学時代からの破天荒ぶりを考えると、サブらし
いとも言える。そんな1年をサブは振り返る。

「この年は日本一にはなったけど、ピッチング的には不満も残るシーズンだった。でも、あれ
は7月(26日)のロッテ戦だったかな。田中(将大)が投げた試合でチームがサヨナラ勝ちし
た試合。あの試合の9回、ブルペンからベンチに戻って、野手の中に入って応援してたんよ。
そしたら、目の前でサヨナラ勝ち。あの時のベンチの雰囲気は本当に鳥肌が立った。その時、
『あぁ、ピッチャー続けて、このチームに入れて良かったな』って心から思った。そして
『オレもこんな試合で投げてみたい』って強く思うようになった」

 CS、日本シリーズともにベンチに入りながらも、一度も登板することはなかった。祝福ム
ードの中、素直に喜ぶことのできないサブは、オフの間から来シーズンに向けた肉体改造に
着手する。

「オレもあの舞台で投げたい。その前にまずは1年間通して一軍で投げる。そのためには好
不調の波をなくす。まずは体重を増やすことから始めた。1日6食。朝からとにかく食いまく
った。原動力は(CS、日本シリーズで)投げられなかった悔しさがすべて」
 優勝メンバーに入れた喜びなど微塵もない。そんなことより、投げることのできなかった
悔しさが、サブの心を支配していた。

 オフの間に体重を増やす選手は多い。しかし、体重を増やすことの弊害ももちろんある。
体重が増えれば、投げる時にかかる関節への衝撃は強くなる。体は短い周期で重くなるが、
関節は短い周期で強くならない。投手の場合、練習を含め年間に何万球という数の球を投げ
なければならない。そのため、無理な増量はかえってケガのリスクを高めてしまう。サブは、
このことを計算に入れながら体重を増やしていったようだ。

「オフの間、練習の時間以外もずっと5キロのおもりのついたベストを着て生活していた。
重くなるであろう体に、慣れるために。1月の自主トレの最後の方は、そのベストを着たま
まバレーボールとかもしていた。重い体を自由に動かすことに関しては、かなり慣れたと
思う」

 悔しさから始まった今季への準備。それは決して思いつきではなく、確実に先を見据え
具体的に落とし込んだ練習だった。今季の大活躍の裏には、こうした地道な努力が隠され
ていたのだ。そうして迎えた2月のキャンプ初日。サブは自分の体の異変を感じとった。

. 戦力外から球宴へ。楽天・福山博之の奇想天外すぎる野球人生
webスポルティーバ 7月17日(木)16時10分配信 

「キャッチボールの1球目から、あり得ないほどいいボールが行く。ピッチングをしても、
低めにしか行かない。正直、『今年はイケる』と思ったよ。下半身の動きが安定して、
リリースがぶれなくなった。これまでは身体能力に頼って投げていたけど、いいボールが
行く要因も分かるようになったし、ダメな時は修正できるようにもなった。こんなことは
ピッチャーをやりだしてから初めて。自分でもビックリするくらいの変化だった」

 星野監督、佐藤義則投手コーチからの評価も抜群に良かった。この後、オープン戦でも
結果を残し、サブは開幕から中継ぎの柱として活躍。そしてオールスター選手にまで上り
詰めたのである。横浜時代より確実に落ち着いた目で、サブはこれまでを思い出すように
語る。

「いろんなことがあったけど、オレが一番感じるのは、やっぱり去年いいところで投げら
れなかった悔しさ、そして今年これだけ使ってもらえる喜び。星野監督が信頼して使って
くれて、オレはそれに応えるために投げる。勢いだけで投げていた去年までと違って、今
はピッチングを楽しめている。ピッチャーを続けててとか、横浜がどうとか、そういうの
はまったくない。今、たくさん投げさせてもらえることが嬉しい。オレはそれを意気に感
じて投げるだけ。それがただ楽しい」

―― プロに入った時、楽天に入った時、オールスターに選ばれた時、どれが1番嬉しか
った?

 最後にサブにこんな質問をした。サブは即答で、「楽天かな」と答えた。

 常に、「今」を全力で生きてきたサブにとって、「今」輝く場所を失うことが一番の
恐怖であったに違いない。そんなサブに投手としてのチャンスを与えた楽天。そのチャ
ンスを生かし、投手として輝くことができたサブ。即答したのは、そんな輝く場所を与
えてくれた嬉しさがあったのではないかと思った。

「オレはこれからも、その場その場でベストを尽くしていくだけ。これまでの人生がな
るようになってきたように、これからもどんどん挑んでいく。これから先どうなるかな
んて、分からない。でも、挑戦する姿勢だけは持ち続けたいと思う」

 異色すぎる経緯でプロ野球選手になり、異例の速さでクビになり、1年で日本一、そし
てオールスター選手になったサブ。色々なものが速すぎるサブ。そんなサブを、私は一
ファンとして、ゆっくりと見守って行きたいと思う。昨年の覇者は最下位に沈んでいる
が、それでも楽天にはサブがいる。杜の都で躍動するサブの活躍から目が離せない。
.高森勇旗(元横浜ベイスターズ)●文 

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・編集者紹介 ベンチャーパーク 代表 榎本 和男
経歴書 http://www.venture-park.com/keirekisho24.pdf
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